2021年08月18日

獄死した「 A級戦犯 」



前回の続きです。

刑死したいわゆる「A級戦犯」は7名いますが、それとは別に死刑にはならなかったものの投獄されていた巣鴨プリズンにて、

公判中や服役中に獄中死したいわゆる「A級戦犯」も7名います。

彼らはその後名誉を回復し、刑死したいわゆる「A級戦犯」と共に靖国神社に祀られました。以下、その7名です。




歴史の教科書にも登場する松岡洋右(ようすけ)は肺結核に苦しんでいたが、裁判は始まり2ヶ月で死亡、 満61歳 以下満年齢。



東郷茂徳(しげのり)は禁固20年の判決を受けたが昭和25年、狭心症で死亡。67歳。


梅津美治郎(よしじろう)は終身禁固刑で服役中、昭和24年、直腸ガンで死亡。67歳。



小磯国昭(くにあき)、終身禁固刑で服役中、食道ガンで死亡。昭和25年、70歳。



白鳥敏夫、終身禁固刑で服役中、喉頭ガンで昭和24年、61歳で死亡。



永野修身(おさみ)は劣悪な獄中環境により急性肺炎を発症し、急死。昭和22年67歳。


平沼麒一郎(きいちろう)は81歳の年で終身禁固刑の判決。昭和27年、仮釈放直後に病死。84歳。




平均年齢で満68歳で獄中死してます。当時としてはかなり高齢であったでしょう。

持病もあったでしょうが、酷暑、酷寒の非情で劣悪な環境にあって、裸にされる、眠らせてもらえない、さらに被告、囚人というストレスにさらされ絶望のなか、死期を早めたのは言うまでもないでしょう。

戦勝国、アメリカの無情さがよくわかります。



いわゆる「 平和主義者 」の方からすれば「 A級戦犯なんだから死刑だろうが獄死だろうが

悪いことしたんだから死んじゃえばいいじゃん」かも知れないですね。



続きます。







  

Posted by あんがす at 00:53