2011年06月18日

真珠湾攻撃の55分後に

真珠湾攻撃の55分後に


この本、図書館で借りて読みました。

トンデモ本扱いされてたりもしますが、興味深いです。

真珠湾攻撃が期せずして 奇襲 となってしまったのですが、

日本はアメリカに対し宣戦布告するはずでした。

どうして、攻撃の55分も後の宣戦布告となったのでしょう。

世間一般ではワシントンD.Cにある日本大使館の職務怠慢で

ハル国務長官に書簡を手渡すのが遅れてしまったことになってますよね。

この本では違います。


新庄健吉(けんきち)という陸軍主計大佐がかの地で急病で亡くなり

その葬儀がワシントンで行われ、そこに開戦通告を持っていくメンバー

野村吉三郎 駐米大使

来栖三郎 特命全権大使

松平康東 (こうとう) 日本大使館一等書記官

の三人が出席した。

でもその葬儀が、新庄大佐の人柄ゆえに彼らの予想外に長引き

中座できなくなってしまい、葬儀が終わるやクルマを飛ばしたが

時すでに遅く真珠湾は火の海となっていた。


どっちにしても、トホホな理由です。




  









Posted by あんがす at 23:40│Comments(0)
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